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だんなさん

クナポ小学校

夫が以前小学校で先生をしていたときに住んでいたクナポ村に行ってきました。
シェムリアップ市内から30キロくらいのところにあります。

クナポ小学校

これが、クナポ小学校。ここで、教えていました。といっても、校舎は後で新しくできたものです。当時は葉っぱの小屋で、地面は土です。土に座って勉強してました。
村を走っていると、昔の教え子数人にも会いました。
お世話になった方々にご挨拶したりして。
当時は、戦争真っ最中。
給料なんてなくて、生徒達から1ヶ月に250gずつお米をもらったり、魚をとったりしていました。住んでいた家ではいつでも、お料理してくれて。でも、その奥様はもう亡くなってしまっていて、でも、戦争が激しくて、あんなにお世話になったのに、お葬式にもいけなかったのが心残りですって。

残った石

近くには、9世紀の遺跡があったのですが、今はなくなっていました。9世紀にレンガを作っている場所で、小さなお寺もあったのですが、今はたった1つ石が残っているだけでした。なんだか新しいお寺の何かが作られていました。

車窓から

こんな、のどかな風景の場所です。
でも、ここでは何人死んだ。ここではすごい爆弾で30人以上死んだ。この橋では血だらけの人がいたので、運んで助けた。爆弾から真っ暗闇の中を逃げるので、自分でここの塀に激突した時、爆弾に当たったと思った。血だらけで助けてー助けてーという人がいて助けようとするとそこを狙って軍が撃ってくる等々、このクナポ村にいた当時は戦争真っ只中だったので、今目にするのどかな景色とは正反対の凄惨な時代を思い出していました。
カンボジアではアラフォー以上は、戦争体験があります。30程度の弟達はまだ子供でそんなによくわかっていません。90年代の話なので、まだ20年も経っていない話ですが、カンボジアでは戦争は風化されつつあるかもしれません。
夫は、日本では8月になると必ず戦争の特集を組んで戦争を忘れないように60年以上経った今でも毎年放送されることにいつも感心しています。
もちろん、カンボジアでも戦争の体験談はとても悲しく辛いものなので、思い出すのが嫌だという人もいるでしょう。でも、夫はやはり、語っていかなくてはいけないという思いがあるんだと思います。
今生きていること自体がいかにラッキーだったかというほど、毎日隣の人が死んでいく状況を生き抜いてきたのです。
だから、夫はお客さんにも戦争についても語ります。やはり、外国のお客さんはカンボジアの戦争に興味を持っている方も多いです。でも、もしかしたら、外国のお客さんではなくカンボジアの子供達にこそ戦争の体験は語っていかなくてはならないものなのかもしれません。

中学校

昔は、この村の人はほとんど字の読めない人ばかりでしたが、今ではこんな中学校もできて、村の人はとってもうれしそうでした。この学校には日本人男性のお名前と銀行の名前が書かれていました。
かなり、田舎ですが、けっこう、日本の援助が入っているようで、日本語の看板(井戸)も見かけました。


こんな話を聞きたい方は、夫まで聞きにきてください。ポルポト軍があっちから攻めてきて逃げたとか、見張りの人7人が寝てしまったから皆殺しにされたとか、死体がごろごろ転がっていたとか、夜は危ないから寝ちゃいけないとか、そんな話をしてくれます。
でも、そんな話も、椰子やバナナが茂る中、牛がのんびり草を食んでいるのを目の当たりにすると、まるで、嘘のように聞こえます。村人もとても優しく、いい人ばかりで、そんな悪夢のような時代があったなんて信じがたいです。
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テーマ : カンボジア
ジャンル : 海外情報

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Author:molis
モリス 日本人 
カンボジア、シェムリアップ在住 
30代
カンボジア人夫1人、
こども2人
  

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